町指定文化財 草津鷲湯碑(くさつわしのゆひ)翻訳あり!

草津鷲湯碑

草津鷲湯碑
草津温泉の街中を歩くと、いろんな石で出来た置物が存在します。
何げに通り過ぎてしまいますが、草津町の文化財であり、
その存在の意味があります。
これらについて、知っておく事が出来れば、町内散策も楽しくなるかと思います。

草津鷲湯碑

草津鷲湯碑とその歴史的背景

草津温泉の鎮守である白根神社境内に建立されている草津鷲湯碑は、温泉街の歴史と文化を物語る重要な存在です。以下に詳細を紹介します。

鷲湯碑の由来と歴史

  • 鷲乃湯: 鷲乃湯は草津温泉で最も古い共同浴場で、滝下通りに位置していました。昭和44年(1690)まで時間湯の浴場として多くの湯治客に利用されていました。
  • 感謝の碑: 鷲湯碑は明治37年(1904)に湯治客たちが温泉の効能に感謝して建てたものです。碑文は当時の日本皮膚科学の指導者である土肥慶蔵博士によって書かれ、鷲乃湯の由来と効能をたたえています。また、筆跡は明治の三筆といわれた巌谷一六先生の作です。

鷲湯碑の意義と現在

  • 文化財: 草津鷲湯碑は草津町指定文化財に指定されています。その歴史的背景と共に、草津温泉の発展と人々の感謝の気持ちを伝えています。
  • 観光スポット: 草津温泉を訪れる際には、鷲湯碑を訪れてその歴史を感じてみてください。白根神社境内の美しい景色と共に、草津温泉の魅力を堪能できることでしょう。

草津鷲湯碑は、単なる石碑ではなく、草津温泉の心温まる物語を伝える大切な存在です。訪れる人々にとって、その歴史と意義は感動的な発見となることでしょう。

さて、漢文で書かれたこの文字、何と書いてあるのでしょうか?
草津鷲湯碑

【原文】
草津驚湯碑
皇宮大夫 従二位勲一等
子爵 香川敬=篆額
凡養病之地冬宜海濱資其温暖夏宜山間資其清涼吾邦四面皆海於冬最宜顧交通之機関未大備是以雖有高山峻嶺不得遽来往是可恨也獨上毛草津発東京駕汽車瞰稚氷嶺至輕井沢車馬半日而達加以温泉多含硫黄兼游離酸溫度極高山水秀霊空気清澂実稱海内無比非誇張也此泉創見後鳥羽天皇建久四年源右大将源頼朝猟信濃国浅間山帰八月三日来経此始浴焉至足利氏時来浴者益多効大著云地拔海面四千尺草樹鬱蒼気候爽涼其泉湧極多中有鷲湯相傳昔時土人未知温泉之効一日見一雄鷲脚負瘡来浸之湯中須臾而愈奮翩飛去人驚其奇効因以名也余夙聞草津溫泉之名嘗在大学院日帯官命注視焉始知其名不負実矣渡遊学欧州専講究皮膚科学居五年而滑彌来往驗数次益識其有効而鷲湯軟和頗適於皮膚也蓋以地便於交通食物飲料皆新鮮適体況於山水之秀靈空気之清 乎其療沈瘋治宿痾不是也土人聞余素喜此地欲乞文證其縁由以建碑鶯湯側告来者夫分析泉質講究療法余責也義不可辞乃係以銘目

瑟彼温泉 盜邪濯穢 痊痾保性 肉枯起療
名将始浴 猛鷲治鎏 厥名大著 七百餘霜
色流雲液 波浸黄玉 内除宿蠧 外払複毒
予業刀圭 来察泉源 茲勒銘辞 以貽後昆

医科大学教授従五位
医学博士 土肥 慶蔵撰
巌谷 修書
明治三十七年十月

草津鷲湯碑

【翻訳】
草津鷲の湯の碑
皇宮大夫従二位勲一等
子爵香川敬三が題を書く

一般的に病を養うのに適した場所は、冬は海辺で過ごすことが良いです。その理由は温暖な気候にあります。一方、夏は山間の方が適しています。その理由は、涼しく気持ちの良い場所にあるからです。日本は四方を海に囲まれています。冬には海辺が最も適していると言えます。ただし、交通機関はまだ整備されていないため、高い山や険しい峰があるにもかかわらず、急に行き来することはできません。これは残念なことです。しかし、上毛の草津は特別です。東京を出発し、汽車に乗って碓氷峠を越えれば、軽井沢に到着するのに半日かかります。さらに、草津の温泉は硫黄や遊離酸を多く含み、非常に高い温度で湧き出ています。山や川はこの世ではないほど美しく、空気は清澄です。国内で比較する場所がないほど素晴らしいと言えるでしょう。草津の温泉は、後鳥羽天皇の時代に創設され、幕府を始めた源頼朝が濃の国の浅間山で狩りをしていた際、八月三日に帰る途中で草津を訪れ、初めて入浴したことで知られています。室町時代になると、入浴客が増え、その温泉の療養効果は広まりました。草津は海面からの高さが一千二百メートルもあり、草木は青々と茂り、気候は涼しく快適です。この温泉は多くの場所から湧き出ています。その中に「驚の湯」と呼ばれる温泉があります。次のような伝説があります。昔々、村人たちはまだ温泉の治療効果を知りませんでした。ある日、一羽の雄鶯が足に傷を負ったため、ここにやってきて足を温泉に浸しました。しばらくすると、傷が癒え、大きな羽を振って飛び去りました。村人たちはこの驚くべき効果に驚き、「驚の湯」と名付けました。私は草津温泉の名前を早くから聞いており、大学院に在学していた際に役所の命令で注意深く観察していました。初めて草津の名前は実際にふさわしいものであることを知りました。欧州で学び、皮膚科学を専門に研究し、五年間滞在した後、少しずつ草津を訪れて調査を行いました。その結果、温泉の効能をさらに理解しました。特に「驚の湯」は柔らかく、皮膚に適していることがわかりました。
草津の地は交通に便利であり、食物や飲料は新鮮で体に適していると思います。言うまでもなく、山や川はこの世ではないほど美しく、空気は清澄です。ここは永く癒えない病を治す場所であると疑いありません。村人たちは私が前々から草津の地を素晴らしいと言っていることを聞き、一文を依頼しました。それは「驚の湯」の力を証明し、入浴に訪れる人々にその効能を伝えるために神を建てることを考えたからです。私は一つ一つの温泉の湯の質を分析し、病を治す力を明らかにする責任を持っています。その温泉が湧き出ている所はかなり多い。その中に驚の湯が有る。それは次のような言い傳えがあるのである。古い昔に村人がまだ温泉の病を治す力を知らなかった。ある日一羽の雄鶯が足に傷を負ったのでここに来て、足を湯の中に浸した。暫くしたら治り大きく羽を振って飛び去った。それを見た村人は其の病を治す力の大きさに驚いて、それで驚の湯と名付けたのだと。私は早くから草津温泉の名を聞いて、前に大学院に在学した時、役所の命令を受けて注意して見ていた。始めて草津の名は実に違わない事を知った。海を渡り欧州に滞在し学び専ら皮膚科学を究め明らかにして、五年間も居て帰った。少しづつ草津に来て調べる事は幾回もあった。益々其の温泉の有効な事を識った。そうして鶯の湯は柔らかな当たりにして余程皮膚に適するのです。その事は辞退すべきではないので、関係する人々に「鷲の湯」を表す文を次に述べます。

鮮やかな鷲の湯は、悪い気を洗い、汚れを激しく取り除きます。
長い病気を癒し、命を延ばし、枯れたものを甦らせ、治らない病気さえも癒します。
源頼朝がこの温泉を発見し、強い鷲の傷を癒したことで名高くなりました。
その名は七百年以上も経っても広まっています。
湯の色は白い水を流したようで、湯船の縁には硫黄が付着しています。
体の内部で悪い虫を取り除き、体の外部で強力な毒を排出します。
私は医術を専門としており、この温泉の源を観察しました。
ここに文を石に刻み、後の世に伝えることを考えています。

医科大学教授従五位
医学博士土肥慶蔵が文を作る
巌谷 修が書く
明治三十七年十月

こんな内容が草津鷲湯碑に刻まれております。
いかに草津温泉が素晴らしい温泉か、良く分かりますね。

こちら、鷲の湯があった場所です。
鷲の湯跡地

鷲の湯跡地

鷲の湯跡地

こんな内容を知った上で、湯畑の近くにある鷲の湯跡地、
白根神社にある草津鷲湯碑をご覧になり、
町内散策をお楽しみ頂ければ幸いです。

尚、このブログは、参考文献の草津温泉の文化財(草津町教で」育委員会)を元に、
生成AI「Copilot」によりブログ記事用に分かりやすく校正したり、文章を作成しました。
何か違っている点がございましたら、ご指摘頂けると幸いです。



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